デスカフェとは?
デスカフェは「死について自由におしゃべりできる時間を作ろう」という国際的な対話のムーブメントです。
1999年にイギリスではじまり、日本国内でもいろいろなかたちで広がってきました。
デスカフェは身近な語り合いの場。宗教でもカウンセリングでもありません。
悩みを解決するよりも、それぞれの感じ方や考え方をそのまま言葉にしてみる、ということを大切にしています。
価値観をジャッジするのではなく、お互いの違いをそのまま受け止め合う時間、といってもいいかもしれません。
ザ・リライトでは
トーク形式や看取り士とのコラボ、入棺体験、弔辞体験などのワークショップ形式でのデスカフェを行っております。
誰でも参加できて、安心できる場所で話したり、聞いたり、黙ってその輪の中にいるだけでも歓迎される自由な時間。
それが、ザ・リライトが大切にしているデスカフェのイメージです。
デスカフェに参加するわけ
生まれてくることと同時に、死はすべての人が避けては通れない出来事です。
けれど、日常の生活の中では、死にまつわる気持ちや考えを口に出す場面はあまりありません。
「ちょっと話してみたい」「他の人の考えを聞いてみたい」
そんなときに、デスカフェという程よい距離感の場所が役に立ちます。
ただ、その場で誰かと一緒につながる時間を過ごしてみること。
そのシンプルさが、安心感や、自分自身の生き方、誰かとの関わり方を見つめ直すきっかけにつながっていくのだと思います。
葬儀に携わる中で見えてきた「死を語る必要性」
お身内の方が亡くなり葬儀の準備をするとき、限られた時間の中でたくさんのことを決めていかなければなりません。
誰に声をかけるのか、どんなかたちで見送るのか、費用について、仕事や学校との調整……
目の前に迫る決断に追われる一方で、本質的な部分をゆっくりと言葉にできる余裕はほとんどありません。
「自分はいまどう感じているのか?」「本当はどんな風にお別れしたかったのか?」
例えば、普段の生活の中で、ご家族で死について語り合う土壌があったとしたらどうでしょうか?
元気なときに、死がまだ遠く感じられる時期に、安心して死について語る場のあることは、とても大きな意味があると感じています。
- 自分がいなくなったあとのこと
- ご家族とのお別れにはどんな思いがあるのか
- お別れの仕方や最期のときに望むこと
前もって思いを共有したり、誰かの話を聞いておくことは、いつか訪れる「その時」に向けてのこころの準備運動にもなります。
ご遺族の皆さまに葬儀で寄りそう立場だからこそ、日常生活の中で死を語る場を作ることが、ご家族全体を支える足場になると考えています。
デスカフェ参加者の背景はいろいろ
さまざまな人生の背景を持った方がデスカフェに参加されます。
大切な方とお別れされたばかりの方、数年前のことを振り返る方、親兄弟の介護について考える方、著名人のご逝去についてお話しされたい方、ご自身の老いや最期の迎え方についてみつめたい方……
開口一番、ことばがあふれるように話される方もいれば、終わりに近い頃にポツリとお話しされる方もいらっしゃいます。
参加者の皆さまからは、
「自分の感じ方はこれでいいのかな?」
という、小さな迷いを抱えている印象を受けることも多くあります。
誰かの言葉を聞くことにより
「自分だけじゃないんだな」
「どう感じても大丈夫なんだ」
と、ほっとされて表情が和らぐことが、とてもすてきだな、と感じています。
デスカフェは同じ体験をした人だけが集まる場ではありません。
いろいろな経験や立場の人たちが言葉を持ち寄り、
「それぞれの感じ方があっていい」という価値観で過ごす場なのだと思います。
世界を学び直す時間としてのデスカフェ
トーマス・アティッグというアメリカの哲学者は、
大切な人を亡くしたあとの人生について
「もとの自分に戻ること」ではなく
「変わってしまった世界で、もう一度生き方を学び直していくこと」だと考えました。
大切な方を失うと、同じ道を歩いていても、同じ景色を見ていても、
人との距離感なども、前とはどこか違って感じることがあります。
アテイッグは、もう一度「これからの世界をどう生きていこうか?」と考えることを「世界を学び直す」ことだと表しました。
デスカフェでの語り合いも「世界の学び直し」のひとつだと考えています。
誰かの言葉に耳を傾けたり、自分の思いを伝えることで
「今の自分でいいのかもしれないな」「こんな見方もあるんだなあ」
などと思えるとき、これも少しずつ世界との付き合い方が変わっていく瞬間なのだと思います。
ザ・リライトはお葬式でもアティッグの考え方を大切にしています。
葬儀は「もとの生活に戻る区切り」ではなく、
変わってしまった世界への勇気ある一歩目だと考えています。
文化としてのデスカフェ
ザ・リライトのデスカフェは
しんみりするためでもなく、キラキラするためでもなく、
死について語ることのできる時間を日常に差し込むための、小さな文化づくりです。
そこで終わってしまう閉じた空間ではなく、そこで交わされた言葉が自然に暮らしのどこかに残っていく余韻。
ちょうどいい温度で語ることのできる社会に近づいていける願いを込めて、無理のない範囲で開催しています。
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